絵画 不朽の名作 ルノワール編

1. エピソード1

「風景画であるならそのなかで遊びたいと思わせてくれるような絵が好きだし、裸婦ならその乳房や背を撫でたいと感じさせるような絵が好きだ」

このように語るルノワールはすでに晩年を迎えていたし、これはまさに晩年の彼の作品そのものを語るにふさわしいのであるが、しかし“遊ぶ”といい“撫でる”というというぬくもりのある言葉は、彼の芸術的生涯のキーワードではないだろうか。

画家としての修行を始めたばかりのグレールのアトリエで、「君はただ自分を楽しませるだけのために絵を描いているようだね」という師の問いに対して、彼は「もちろんそうです。絵が楽しくなかったら、絶対にこんなことしていませにょ」と答えたという。描くことが楽しみであり、「遊び」さながらであることに、ルノワールの画家たらんとする志があるのだった。

そしてリウマチが昂じて車椅子の人となった最晩年のルノワールはこうもいっている。「わたしはもう立てない。そしてわたしにはもう絵を描く力もなくなった。だが、もし歩くか、絵を描くかと言われれば、そりゃ絵を描きたいね」

この初めと終わりの間に、ルノワールの生き甲斐はただ一つ、描く歓びがあったのだ。ここうという意欲をど真ん中に据えてひたすら生き続けた生命の軌跡の上には、静物であれ人物であれ風景であれ、かけがえのない晴朗な作品がうちならぶのである。

彼は「悲しげな絵を描かなかった唯一の大芸術家」(オクターヴ・ミルボー)だといわれる。彼とても苦しみや悲しみを避けて通ってきた訳ではなかった。印象派の仲間の一人として不評を分かち合ってもいる。若い仲間の不屈の精神に染まってもいよう。しかし、ルノワールの場合、なにかを乗り越えて至るというのではなく、自ずから成るというタイプであった。美しいもの、楽しげなもの、快いものにだけ感応する天性の画家であったというべきだろうか。

印象主義の誘いにしても、それは主義主張への賛同というよりは、この光と色彩の豊饒な世界への門口が己の感覚的世界の拡がりを予見させる故に、ずっと平たくいって“気に入ったから”それをくぐることになったといえないだろうか。事実、彼は、カフェ・ゲルボワの集いの常連ではあっても、議論好きではなかった。人が雄弁であればそれだけ芸術から離れると感ずる方であった。描く時間を無駄にしたくない、制作そのものこそ美術の問題と取り組む道であるとルノワールは考える。

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