今日、理屈ぬきで美しいものを創り上げること、そして苦渋を知らない芸術家像を考えることほど、なじみのうすいものはないかも知れない。美しく仕上げる、上手に仕上げるの評価の基準は、芸術の問題ではなくて技術の問題にすぎなくなっているのかもしれない。しかしルノワールにとって、職人的な技倆はゆるがせにできぬものであって。十三歳のときからパリのル・タンプル街の陶磁器工場の絵付け工としてずばぬけた手腕をみせた彼にとって、メティエという語は人一倍重かったのだ。
父は仕立て屋。その子供たちのうち、オーギュストの兄は彫金師、仕立て屋を継いだ弟、図案家と結婚した妹、末弟だけがジャーナリストの道を選んだだけで、いずれも職人の血筋を引いている。父はとりわけ陶器の絵付け工となったオーギュストを誇らしく思っていたに相違いない。彼は陶器芸術の古い伝統の街リモージュに育ち、やがて画家となった息子もここで生まれたからである。
オーギュストはル・タンプルの街の工房で四年間、修業した。「セーヴル製作所の装飾画家」をめざして、彼は白い大きな皿に、小さな葉を描き、バラの花を描いた。一ダースの皿を描き上げると五スーを手にすることができた。マリー・アントワネットの横顔を描きこなしたときには八スーになった。
貧しい家庭の故に稼ぎに出ねばならなかったというのではない。実はそうかもしれないけども「好きこそものの上手」なのであった。見習い工にかげりのあるはずはなかった。手仕事は上達するほど楽しい。きまった手順を覚えきると、工房のきまりがもう窮屈ではなくなる。道具や材料が思い通りになってくれる。自分の仕事台に愛着を覚え、材料にしても無駄なく仕込むコツを覚え、能率を上げしかも出来栄えもよくなり、お金になる。金のとれる職人になる―この割り切った生き方は、きわめて健全な精神を培うものだ。
職人は道具を大切にする。ジャン・ルノワールが『父の思い出』の中で書いている次の一節は、まさに職人気質を伝えてくれる。
「絵具箱とテーブルはいつもきちんと片付いていた。チューブを底の方から巻きあげ、ちょうど必要なだけの絵具をしぼり出した。・・・パレットを洗うとき、かれはまず、それを徹底的に削り落とし、・・・テンピンをひたしたぼろ布でパレットを絵具の跡が全部消えるまでみがいた・・・」
ルノワールは無精でもなければ無頼でもなかった。少年期からのしつけが身について、何の苦もなく、日常の画業の一こまになっているのである。人はよく性分とか習癖とかいうが、その裏では神経質でときにはマニヤックなニュアンスがなくもないのだが、ルノワールの絵具のチューブの扱いや真新しいように清潔なパレットの保ち方には、経験を積んだ職人ほど後片付けがみごとだという感銘をかさねあわせてみることができる。しかも調子の悪い絵筆は、瀟容赦なく棄てて、二度と不手際が起こらないようにしている。職人の厳しさと誠実さなのである。
そんなパレットや絵筆からは、濁った絵は生まれるわけはない。職人の言葉でいえば、品質管理がゆきとどいているのであるが、濁りのない肌合いにルノワールはなじみ、職人の心得を忘れなかったのである。カンヴァスを前にする以前、少年期の彼の前におかれたのは白い陶器である。釉薬の下につややかにみえる花や葉の筆触に、とどこおりがあってはならなかった。たとえばバラの花びらであれば、一つの筆の中に濃淡があってこのこの片ぼかしの筆をかさねてふくよかなバラの花冠を描き出す技法もあった。陶体の白地が絵付けの絵具を透かしてみえ、それが輝きとなるのだ。柔軟で流れるような筆さばき、つややかな色彩、そして透明な質感。そしてうすいうすい絵具を豊にする唯一の方法ともいえる、濃淡を自在につかいわけてつくり出すヴォリューム。絵付け工の筆は丸みを持った表面を愛撫するかのようにすべる。ルノワールにとって線とはヴォリュームをもったものの表面を戯れ流れる丸みを帯びたものなのである。筆触とは、触覚のようなものなのだ。
「ルノワールは、陶器に絵付けした頃の最初のメティエと、明るい透明な色調に対する愛好を、最後までまもりつづけた。彼のカンヴァスの白の地塗りは、昔、彼が用いた皿の磁土の役割を果たしている・・・」
これは晩年の巨匠の描法を詳しく報告しているアンデレ・アルベールの書き出しである。地塗りの白さを生かして描く透明画法への愛着は、画家としての修業以前にすでに形成され、自分自身の表現法になりきっていたし、それが生涯を通じて持続していったのである。